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AWO ー瑠璃光ー

2004年4月29日 (木・祝) 〜 5月4日(火・祝)

10:00〜19:00(最終日〜16:00)
水曜定休日
ギャラリー楽風

〒336-0064 埼玉県さいたま市浦和区岸町 4-25-12
Tel/Fax 
048-825-3910


真綿の部屋1

真綿(絹)の部屋

玉繭を藍で深く染め上げ拡げた青い真綿を、やはり藍で染めた手引きの生糸で縫い合わせました。

逆光では、南に面した四角い窓からの光が朧月夜のように丸い球として、常に見る人と窓の間に浮かび上がります。

丁度、庭の大きな櫻が青葉の色を日に日に濃くしてゆく時期で、その照り返しの緑の光や空の青い光が真綿を染め分けていました。

建物の「呼吸」に合わせ、何重にもなった真綿の膜がゆったりと動き続けます。

時期が良く、空調がほとんど必要なかったため、外や下階の音・光が穏やかに響いて、暗闇と共に空間を形づくります。

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真綿 ほか H.215 cm

光の和室1

光の和室

奥の和室には一辺が16から24センチ位の薄いライトを作り、欅の梁から吊るしました。

直接見ることが出来ないその発光面には、空や森を撮った「青い風景」の写真がフィルターのように挿んであり、照らされる畳や土壁の色と混じり合い、微妙な色の違いを生んでいます。

上塗りの無い切り藁の見える土壁には、黒色の寒冷紗を張ることでライトからの青い光がにじみや屈折を起こし、不思議な感じに光ります。

また、梁の上には天井を照らす小さなライトをいくつも置き、暗さに慣れた目には気付けるくらいの淡い光で丸く照らしました。それは、窓からの照り返しの光のようにも見えます。

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【青い風景の写真はこちらへ】
ライト 青い風景の写真 寒冷紗 ほか



湧く光1

湧く光

展示室入り口の外に、屋根の傾斜が形作る空間があります。
来る時には暗闇に目が慣れていないので見落としがちですが、こちらも使わせてもらい展示しました。

極細のステンレス線を立てて白や青の光で照らすと、見る場所や角度によって光の彫刻が湧きあがるように見えてきます。

一見、光ファイバーを使っているようにも見えるのですが非常に単純なアナログのつくりです。
しかし、その分かえって面白く、不思議なものに見えてきます。

奥の黄色い光は、下の事務室の光が竹組の間から漏れてきているもので、楽風の作りつけです。

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ステンレス線 アクリル ライト ほか



― 楽風(らふ)におけるインスタレーション・展示趣旨 ―

(AWO)  ―瑠璃光(RURIKOU)―

宇宙の・い森・体の奥の透明な
【おかげさまの光】



青黒い透明な夜空を見上げる時、心が落ち着き不思議と力が湧いてくる時があります。

は、落ち着きと安らぎの色とよく言われます。しかし、それだけでなく、ふつふつとエネルギーが湧き上がってくるように感じるのはなぜでしょう? これは私だけの特異な感覚なのでしょうか?


《 蔭の色 》

熊野にある那智(なち)の瀧の裏は、神域として原生林がそのまま保たれている森です。奥に入って行きますと二の瀧(木の葉返しの瀧)・三の瀧と、いわゆる「那智四十八瀧」が続いて現れます。


Nikon F4 35mm  Photoshopによる色調整


昨年、この原始の森で撮影した逆光の木の写真は、私に改めて生命の「影・陰(かげ)」の世界の不思議な輝きを示してくれました。


その驚きというのは、例えば小さな若木の根を掘ってみたら強靭な根が地中深くまで潜り込んで成長しているのを見つけた時のように、普段目に留まらないものが、そのものの存在(すべて)を裏側でしっかりと支え、それが更に複雑な物事に支えられているのを見つけた時のような感じです。


撮影時にほとんど気付かなかったその木の「青い影(ひかり)」は、カメラのレンズの悪戯(いたずら)によってもたらされた部分もあるのですが、影として顕(あらわ)れた青い光は、まるでそこから突然宇宙に向かって開かれた窓のように、とても大きな存在の一部を示しているように思われました。

「普段『影・陰(かげ)』だと思っていたものが、実は全く逆で、まごうことなき本体であった」、そんな驚きといったらよいのでしょうか。

《 空はなぜ青く見えるのか 》

空がなぜ青く見えるのか?」 という問いは、科学的には、

空気や水のような微粒子の漂う空間では、可視光線(電磁波の一種)の中で比較的短い波長の「青い光」は、「赤い光」のように長い波長の光よりも拡散されやすいために起こります。
より詳しくは、《拡散を起こす物質が光の波長より充分に小さく、かつ不規則に揺らいでいる場合、波長の四乗に反比例する散乱が起こる》という、「レイリー散乱」で説明されます。

とても大雑把に言って、青い光は赤の十倍ほどにも拡散され易く、そのため太陽の方向に関係なく、大気が無ければそのまま通過したはずの青い光がより散乱され、地上に降りそそぐ、と言うのです。


地球の生命にとって欠かせない空気や水が太陽の光を受け、この地球を「青い星」に変えているわけです。
生命(いのち)の基本環境が「青い光」を生んでいると言って差し支えないと思います。

《 おかげさまの色 》

光があれば影があるのは当然と私たちは考えがちですが、その影を照らす青空の「青い光」の存在を普段は忘れがちです。暗く沈んだ夜空の青でさえ、空気が無ければ違う色に見えるでしょう。

言い換えれば、空や海の色として当然のごとくに享受している「青」は、『影・陰(かげ)』で支え、『影・陰(かげ)』を照らす【おかげさまの色】。そんな風に言いたくなります。


ところで、「白」とか「青」を感じているこの体(からだ)自体が、実はとても不可解で不思議な「おかげさま」で成り立っているのだと感じることがあります。


特に内臓の働きは、快調な時ほど何も無いかのように存在感が消えているので、内蔵を快調たらしめている「力」のことなど顧みることなく、どこか壊れるまで酷使しながら生きてゆく場合がほとんどでは無いでしょうか?

有難さを感じるのが調子が悪い時や切羽詰ってから、というのがとても悲しいことですが…。


《 代謝の中心、肝臓の光 》

からだの物質代謝の中心的存在として生死に関わる臓器でありながら、痛みなどを感じる神経がなく「物言わぬ臓器」とも呼ばれる肝臓
今まで、不安や苦しみを抱えている夜に肝臓の周辺に手を当てていると、体の奥底からそういった不安や苦しみが和らぎ、無くなり、平安な心が生まれ、袋に水が満ちてくるようにひたひたとエネルギーが満ちてくることが何度もありました。

不思議なことに、この「物言わぬ」肝臓が発している光が青だといいます。

ある日、透明な青黒い星空、那智の森の影の「青」を感じている時、まさに肝臓が啓(ひら)かれていく時と同じ安らぎとエネルギーを感じていることに気が付きました。


日本人が好きな色は、白の次に青だと言われます。

庶民の服に多用された藍染や、支那(china)では「青華(青花)」と呼ばれ、日本では「染付け」と呼ばれて親しまれてきた青絵の陶磁器。
どちらも奥ゆかしく光を引き込み、奥から発光していくような色だと思います。
には除虫・防虫・殺菌効果があり、生葉は解毒作用もあるようです。
それは不思議と、青い光を放つ肝臓の解毒作用に通じます。


《 瑠璃の光 》

「瑠璃(るり)色」といえば、艶やかで青く透明な色を指しますが、「瑠璃光」とは仏教関係、特に薬師如来信仰で特別な意味をもって語られます。

薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)」というのが薬師如来の日本での正しい名前です。

かなり以前、夜を通して行われる奈良・薬師寺の「花会式(はなえしき)」に参詣させて頂いた時、謡うような古式の読経で「南無(なむ)薬師(やくし)瑠璃光(るりこう)」という響きが金堂に満ち、体中に響いていくという、美しく厳(おごそ)かな体験をさせてもらいました。

しかし、なぜ「瑠璃光」なのか? なぜお薬師さんと瑠璃が関係あるのか? 「大医王仏」とも言われ、命に関わる医を司るお薬師さんがどうして? 当時の私にはあまりにも唐突で、漠然とした疑問が残りました。

瑠璃光浄土と言われる東方浄土が、東=青=再生=春…、という中国の五行思想の影響を受け、薬師如来が支那(china)に伝わった時点で瑠璃光と意訳された可能性はあります。

いずれにしても、お薬師さんの本質の顕現(けんげん)が「瑠璃光」と呼ばれる光です。私には、瑠璃光が青い光でなければならない必然があるように感じます。


それにしても、「瑠璃光(るりこう)」とは、不思議な響きで魅了する言葉です。



今回の展示は、生命(いのち)の基本環境が生み出し、体の奥底と呼応する「青い光」に満ちた空間がテーマです。

前回、銀座での「白 ―まなこの裏の色―」展に引き続き、天の虫であるお蚕さんの繭を戴き、それを藍で染めあげて拡げた真綿(絹)での展示を予定しております。

築百年の土壁の納屋を改装した「楽風」は一階が日本茶を中心にした喫茶で、二階がギャラリーとなっています。
ゆったりと落ち着ける空間ですので、どうぞお時間をたっぷりとってお出掛けください。


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