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無限器・灰 U MUGENKI/ash



器は主に自分で焼いて作った灰を掛けて焼き、灰をその「無限器」の中に入れて押し固め、床に置きました。

時間が経つにつれ、少しづつひびが広がって崩れてゆく様子と、表情を変えずに小さな面で自立する器とが様々な意味で対比を生みます。

今後も、灰だけの展示を含め、灰の美しさと不思議さを作品として見て頂きたいと考えてます。

以下に個展の時の紹介文を載せます。



 無限器〈灰〉
 陶器の器と灰によるインスタレーション

 

 
灰は歴史的に見て、人間に欠かせないものとして、常に身近なところで人の生活を支えてきたと言えるでしょう。
 
薪で炊事、暖房をして残るのは灰です。灰はそのまま洗剤になり、畑にまけば肥料になります。
灰の上澄みの灰汁(あく)は、炊事で使うのはもちろん、染物の媒染剤として色止めに使ったり、和紙の繊維を柔らかく煮るためにも欠かせないものでした。

 
私自身の体験としても、子供のときに、祖父がジャガイモを植える際、種芋の切り口に灰をまぶしているのを見よう見まねで手伝ったりしました。
 
そして、幸運にも染織や陶芸にも関わるようになり、灰の不思議さや多様な変化に接する機会を得て、驚きを新たにしています。
 
ただ、灰はそのままの姿で表舞台に立つことは少なく、お茶席で大切にされるか、旧家の囲炉裏、仏壇のお香立てなどで見ることがあっても、どうしても引き立て役だったり、裏方だったりして、陰で支える役目を負うことが多いようです。

 
また現代は核兵器による『死の灰』という極点を否応なく知らされた時代でもあります。更に焼却灰中のダイオキシン問題、火山灰の被害、「ハイ」という音が「廃・排・敗」などに通じること。こういった連想から殊更ネガティブなものとして捉えられることが多くなったと言えるでしょう。

 
しかし本質的には「花咲爺」の昔話が示してくれるように、火を通って生まれた灰がまさに生命にとって【再生】の象徴であることに変わりはありません。
 
灰は人間にとって、【再生】と【死の灰】という両極を負った、実は極めて現代的な意味をもつ存在であると考えられます。
 
今回の個展にあたり、「普遍―永遠―無限」に通じる形を探っている「無限器」のシリーズとして展示します。

小さくともそこで終わらない、それでは終わりにならない形を引き出したいと考えて作っている器です。
釉薬は灰や凝灰岩を砕いたりしたものです。
焼きあがった器に灰を詰めて伏せ置き、器と灰の山が丁度凸凹の関係にもなっています。

2001/8 東京・京橋 NCアートギャラリー


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