2 主観の裡(なか)に普遍を探り求める |
いわゆる「客観的な見方」というのにウサンクサイものを感じたことがない、 そういう人は少ないと思います。 客観というものは 主観の集積であって、常に前提条件と根拠を考慮せずには扱えない、 時に、厄介で危ういものだと、私は感じます。 その危うさは、前提条件を意図的に隠した時に最も顕著に表れるようです。 では主観はどうか これはもっと振れ幅が大きく偏りがありますが、その偏りをみんなが認識してます。 もともと脆く危ういものだということをそれぞれの人が分かった上で 「主観=私の感覚・意見などなど」と付き合いますから、 「個々人の感覚」という前提が隠されることはありません。 正直に顕れるだけです。 ただ、どんな時代であろうとも、 個人の哲学と感覚が深まらなければ、 新しいものを創造することは困難だと思われます。 哲学のない技術は簡単に人間を破壊します。 そのような訳で、 客観性を否定することもしませんが、 主観と個人を大切にこのホームページを作ってゆきます。 また、情報の源も当然個人に帰するものとして考えてゆきます。 個人が変わること以外に、全体が変わる道はないと私は考えます。 もしこの状態を客観的に見たら、 おそらく何も変わっていませんが・・・ |
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